今日は学校。
急に夜が涼しくなったため、のどが痛かった。
で、いざ授業になったら声が出にくい。あー、致命的。
しかも、今日の6年生はやたらやかましい。
全然声聞こえない。
同じことやった隣のクラスがサクサク進んだのと比べて、すごく時間がかかった。
40分あってもこれだけしかできないのか、と悲しくなる。
なんで話が聞けないのかなー。
大きな声出すしか仕方ない状況なのかもしれないけど、あまりそれはやりたくない。
力で言うこと聞かせるって、6年生にすることではないし。
だいたい担任ではないので、あまりでしゃばって注意もできない。
このあたりが実に微妙。
担任の先生もすごく怒っていたんだけど、叱るというより怒るモードでした。
子どもたちはも慣れているので、あまり気にしない。
『またせんせー怒鳴ってるな、あーぁ』って感じ。
やっぱり先生によって怒り方もそれぞれで。
なにが違うのかなーといろいろ冷静な目で見てみたりするんだけど、
実際自分はどんな感じなのか、よくわかりません。
給食の時間にある先生に 『小学校なんてやめて、パソコン教室で教えたほうが楽でしょう。
こんなところで仕事するもんじゃないわよ 』と言われました。
でも、私は結構楽しんでいる。もちろん「担任」じゃないからかもしれない。
とはいえ、腹のたつことも多いし、授業そのものが成立しなくて、困ることも多い。
それでも、楽しい瞬間がいくつもあって、辞められない。
たぶん大人相手のパソコン教室では得られないものだと思う。
その先生は指導に疲れたといい、実際疲れて心を病んでやめていく先生が多いという話をしてくれた。
辞められるものならこの仕事やめたいと思うって、ホンネ。
先生は大変な仕事なのだ。
そんな気持ちで先生やるなって意見もあるだろうけど、そう思いたくなるときだってあるよ。人間だもんね。
うーーーん。でも、今は私はやめたくはない。なんだろう。
子どもと関わってる自分が好きかもしれない。
自分の子はどんどん大きくなっていくけど、学校にいれば、また来年も一年生が入ってくる。
去っていく子を送り出すのは寂しいけど、新しい出会いもある。
学校はふしぎな世界なのだ。
一方で、英語教室もやめられないでいる。(といってもはじめたばかり)
はっきり言って仕事ではなく、ボランティアである。
自分のためでしかない仕事だ。
お金のために働かずにはいられない人たちに比べたら、儲けもない仕事をしていられる自分を幸せだと思うべきなんだろうけど、
時々、なんでこんなことやってるの??と思うときもある。
疲れているとき。
でも、これもまたやめたくない。
うれしい瞬間がたくさんあるから。
この前、生徒の男の子に「先生、ぼくんち遊びにきてもいいよ」と誘われた。
同じマンションの別の棟に住んでる男の子だ。
「いつきてもいいよ。来たい?来たい?」と誘ってくれた。
もちろん、だからって遊びに行くわけではないですが、そういってもらえたことが
なんだかとてもうれしくて、疲れも吹っ飛んだ。
その子もいつか大きくなって中学、高校と進んでいくんだろうけど。
「遊びにきていいよー。先生、おいでよ」と言ってくれたことを私は忘れないだろうな。
町民祭りで歩いていたとき「幼稚園クラス」の女の子に偶然会った。
私を見つけた彼女は「せんせー」と鉄砲玉のように飛んできてくれた。
手をとられ、ひっぱりまわされ、あちこち連れて行かれた。
幼稚園児の手の感触。久しぶり。
彼女の笑顔はめちゃめちゃかわいい。
大きくなったらアイドル系間違いなし。
いまどきの女子高生になっていくのだろうか。
だけど、今はまだ幼稚園児。かわいくてたまらない。
みんなレッスンが好きで通ってくれている。
彼ら、彼女たちにも、楽しくてうれしい瞬間を与えられるなら、それでいいじゃんと思ったり。
そして、私も楽しいなら。
みんなにいつか外国へ行ってほしいな。そして、ドキドキしてください。
なんか支離滅裂になった。
ちょっといろいろあって、へこんでますので。
でも、うれしい瞬間を集め続けていきたいです。